ムビナナと駆けてきた100日の夏

 

 

推しは推せるときに推せとはよく言ったもので

 

 

 

推し環境を取り巻くさまざまなコンテクストを内包した、秀逸な言葉だ。

 

世は大・推し文化時代。“推し”という言葉の定義は千差万別。
人の数だけ人生があるように、オタクの数だけ推しへの想いがある。

それでもオタク誰しもに共通した認識として揺るがないのは、“推し”は愛情を注ぎ生活を潤す、かけがえのない大切な存在だということだ。
人は一度推しというものに触れてしまうと、もう2度と、推しのいる人生を知らなかった頃に戻ることができない。
仮にオタクを卒業することがあったとしても、あの頃のきらきらと輝く日々を思い出しては「そんなこともあったなあ」という気持ちになる他ない。
推しと出会ってしまった時点で「推しの存在しなかった人生」はとっくに途切れているのだ。

 

 

 

 

劇場版アイドリッシュセブン LIVE 4bit BEYOND THE PERiOD


通称 ムビナナ。
私の生活に再び彩度を取り戻してくれた大切な映画となった。

本日大千秋楽。ライブオーラス。
溢れんばかりの感謝と気持ちを綴り、忘れたくないこの夏の思い出を密閉保存しようと思う。


Twitter(現X)アカウントがシャドウバンされるもんだから解除まで騒げなくってさ……どうしてこのタイミングなんだ……という行き場のない気持ちもぶつけます。これも思い出。ハ〜腹立つ。

 

 

 

 

 

 

忘れたくても一生忘れられない、100日前、ムビナナ初見。
急転直下で十龍之介に恋に落ちた。

 

これは特技なのだが、実は自分、映像記憶力がかなり良い方だ。と思う。
連れて行ってくれた先輩と待ち合わせたバルトまでの道とか、DAY1DAY2ハシゴの合間に買ったホットドックのこととか、そのあと暗くなるまで喋ったサンマルクのことを、今でもまだ脳内で再生できるくらい鮮明に覚えている。

それでももう、思い出せないことがある。

あの日の自分は、一体どんな気持ちでムビナナを見ていたんだろう。
衝撃的な雷に打たれたあの日の自分は、まだ彼らのことをなにも知らなかったあの日の自分は、どんな感情でスクリーンを見ていたんだろう。
今となっては見えるものが多すぎて、あの時の自分が何を見て何を感じていたか、実はあまり思い出せない。
思い出すには濃すぎる日々を過ごしてきた。

 

 

 

メインストーリーを読破した。

初見からすぐ、「この人たちの人となりを知りたい」と思ってメインストーリーを読んだ。
2日間かけて第3部まで一気に読んだ。その1週間後、4部まで読んだ。

そして私はメインストーリーを読めなくなった。

別に意識していたわけでもないし、感想を書くまで読まないと決めていたわけでもない。
それでもなぜか次に進む気になれなかった。私にとって3部と4部は、そういう話だった。

5部を読む決心をつけるのに2ヶ月かかった。それでも読んだ。無理やり読んだ。5部後の世界でムビナナが見たかったから。

見てよかった。見れてよかった。
そして5部と6部を読了した。

 

 

人生で初めて、ネタバレを踏みたくないと思った。

3部読了後、4部読了後、5部読了後、6部読了後、それぞれのタイミングでムビナナを見に行った。
これは確実に言えることだけど、いろんなムビナナの中でも、6部後のムビナナが1番好きだ。

人生初の応援上映、人生初の舞台挨拶、人生初のDolby Cinema、人生初の4DX、人生初のミッドナイト上映、人生初のツイートOK応援上映、人生初の楽器OK応援上映

朝8時台の映画を初めて見た。仕事帰りに映画を初めて見た。
気付けば劇場視聴回数はちょうど30回になった。
この先、人生でこんなに同じ映画を何度も見ることがあるんだろうか。
もしあるとしたら、それはムビナナ2になるんじゃないかな。

 

 

 

7月の頭にDAY1DAY2の本編Blu-rayを手に入れた。

購入してからというもの、毎日欠かさず美プレを見て過ごしている。
朝ベッドで目が覚めた時、起き上がるまでの間にBEAUTIFUL PRAYERを見て目を覚ますようになった。
美プレ、何度見てもいい。何度見ても目が覚めるし、1日のスタートを最高の気持ちで迎えられる。目が覚めたら美プレが見れると思うと明日が来るのも悪くない気がする。
落ち込んでる時に見るのもいい。4分で確実に気持ちがポジティブになる。
尊いコンテンツが万病に効くというような大袈裟オタクの構文があるが、あながち間違っていないのかもしれない。美プレは本当に何かに作用してる気がする。

 

コンテンツにハマってからというもの、今日までの間あまり寝ていないように思う。にも関わらず、以前より体の調子がいい。
原因不明の頭痛はあまり感じなくなったし、出掛けるようになったからか体重も少し落ちた。今まで真夏は全く家から出なかったというのに。
これが健康なのかどうかは分からないが、この歳になって身長が去年より1.8センチ伸びた。
ムビナナを摂取すると身長が伸びます。
この事象に対して友人が「担タレ?」と言ってきた時はさすがに笑いが堪えきれなかった。
無意識に体が憧れの十龍之介に近づこうとしている。

 

 

 

ムビナナを一緒に見に行く、いつものメンバーがいる。

私以外のメンバーは私がアイナナにハマる以前から何年も一緒にコンテンツを楽しんでおり、そこに私が加わった形だ。
4人いる。2人はもともとリアルの友人で、もう2人は友人の友人。
アイナナにハマる前はほとんど交流がなかったのに、この100日間で何度会ったんだろうか。

毎日欠かさずアイナナについてチャットした。
1週間会えないと変な心地がした。多い時は週5で会って遊んだ。

「次の予定立てようよ」

「大学生かよ」

50回はお互いを揶揄して言い合った。
まだ出会って数ヶ月しか経っていないのが信じられないくらい、旧友のような関係性を感じている。

 

 

 

一人の友人が主催してくれて、みんなでアイナナ合宿をした。

一泊二日、宿泊の用意を持ってムビナナを見て、そのまま泊まり込みでナナライの円盤鑑賞会をした。
自宅を提供してくれた友人が自前のスクリーンを作りプロジェクターをレンタルしてくれた時はさすがにびっくりして笑いが止まらなかった。
楽しい。アイナナがある生活、本当に楽しい。

 

 

 

ふらっと立ち寄った店でオーシャンブルーのものがよく目に入るようになった。

黒のキルティングをよく身につけるようになった。ドイエベなのにシルバーのアクセサリーをつけるようになった。
アクセサリーを自作するようになった。何を買うにも推しのことを考えるようになった。

 

 

 

自分にはあまり理解ができないと思ってたぬい文化に出会った。

ドンぬいモンぬいねんどろ、今自宅には合わせて5体のつなしさんがいる。ねんどろはぬいではないな。
推しの顔を身につける文化など自分には縁遠いと思っていたのに、缶バッチを買ってロゼットを作った。
アクスタを買った。ペンラを買った。100円ショップに寄ったら単4電池と硬質カードケースを大量に買うようになった。

 

 

 

仕事が変わった。外勤から内勤に変えた。

時間に融通が聞いてプライベートの時間が確保でき、満足いく待遇の仕事に転職した。

 

 

ルームシェアをやめた。

一人暮らしの方が存分にオタクできると思って、同居を解消して一人の部屋を手に入れた。

 

 

なにも分からずG4Yのチケットに申し込んだ。

人生で初めて3DCGライブを見た。
3Dに人は熱狂できる。下半期は全国へ飛ぶ。

 

 

人生で初めて、同人誌即売会に行った。
人生で初めて同人誌を手に取った。

自分の中での二次創作の意味と価値が変わった。
こんなに愛しているキャラクターを、こんなに愛して、こんな気持ちになれる。コンテンツというものの概念がガラッと変わった。

 

 

 

 

文章を書くことを再開した。

もう2度と自分が感じた何かの気持ちをこうして文章に起こすことはないと思っていた。
あの頃のように、書かなきゃいられない気持ちになるなんて思っていなかった。

 

 

好きなものについて文章を書くとき、心のそのままに全てを書いてしまう。裸のまま心の柔らかいところを、ほとんど丸ごと言葉にして残してしまう。“感想”で少しでも見栄を張ると、濁ってしまう気がして身動きがとれない。それでしか好きなものを語れない。もちろん傷がつきやすい。でもどうしてもその方が伝わる気がする。
こんなノーガード戦法の文章を、まさかもう一度誰かに発信したいと思う日が来るとは思わなかった。もう2度と書かないと思っていた。
我慢ができない。誰かに聞いてほしい。自分の好きなアイドルのことを、推しのことを。こんなに魅力的でこんなにかっこいいよって、人に伝わる形にしたい。それだけのために書く。

その昔、好きになったアイドルの知名度がまだ低かったことがある。「誰?」と言われたことがある。
絶対絶対絶対、絶対にかっこいいのに。「誰が好きなの?」と聞かれて答える幼い私は、なぜか少し恥ずかしい気持ちになった。
そして恥ずかしい気持ちになったことが悔しかった。こんなに好きな人のことを話して、何を恥ずかしいことがあろう。

それでもティーンで多感な自分には、時に半笑い、時に苦笑いで「知らないなあ」と言われるのが怖かった。
だからブログを書いた。自分がかっこいいと思うところを、持ちうる限りの語彙を使って必死で書き殴った。

たくさんの人に見られなくてもいい。自分が支持されなくていい。
ほとんどは思い出の記録として書いている。でも一つだけ違う気持ちを乗せているのだとすれば、それは今も昔も「一人でも多くの人に好きなアイドルのことを想ってほしい」という気持ちだった。
「わかる、そこがかっこいいよね」
「なるほどそこがかっこいいんだ」
そう思って欲しかった。
刺され。刺され。刺され!かっこいいって気付け。世界一かっこいいって、気づけ!

やっぱり自分はアイドルを好きになると、自分が見た“かっこいい”を言葉にすることがやめられない。
自分が目にした魅力的な存在が知れ渡っていくことが、元々好きだった人が再度共感の声を上げてくれることが、何よりうれしくてやめられない。

 

 

 

このままROM専になっていくんだなと思っていたSNSを再開した。
毎日何かの情報を得て、毎日何かを発信している。

自分が好きだったことを思い出すように、あの頃みたいにTLに常駐している。

 

 

 

何年ぶりかに絵を描いた。

趣味で描くもんかと思っていたのに、言葉で言い表せない感情がありすぎて、表現の手段を増やしたいと思った。

表現の手段が増やしたいなんて、もう思わないんだと思ってた。
表現のことなんて、この先考えないんだと思ってた。

 

 

 

 

次元の違うキャラクターという存在に、こんな気持ちを抱くことがある。
次元の違うキャラクターという存在を、こんなに好きになれる。

十龍之介のことが本当に大好きだ。それどころか日に日に好きになる。
どんどんかっこいいところが見つかる。メロメロのまま今日まで来た。

これ以上ないくらい衝撃的な落ち方をしたのに、まさか100日後にはさらに大きな気持ちを抱えているとは思わなかった。

 

 

 

趣味の友人を持つことはこんなにも楽しい。
そうだ、趣味の知り合いがSNSで徐々に増えていく感じ、昔は確かに楽しかった。

新しい出会いがあった。大人になっても、仕事以外でも気の合う人と出会うことはある。
映画館にいくと会える人がいる。TLで会える人がいる。初対面なのに最初から意気投合できる人がいる。
テキストコミュニケーションじゃ足りなくて、夜な夜な通話する人がいる。

前からいる人、戻ってきた人、これから知る人、一方的に知ってる人、一方的に知られてる人、いろんな人がいて、みんなアイナナが好きなんだと思うとめちゃくちゃ楽しいよ。

コンテンツにハマるって、自分にとってこういうことだったわ。

 

 

 

アイナナに出会わなければ気が付かなかったことがたくさんある。
アイナナに出会わなければ2度と触れることはないと思ってたことがたくさんある。

彩度の落ちた生活の中で、それでも毎日は楽しいし、きっと大人になるってこういうことなんだと思い続けて暮らしていったんだと思う。
心の底から納得してたし、幸せだと思って過ごしていた。

今、朝目が覚めた瞬間からアイナナのことを考えている。夜寝るその瞬間までアイナナのことを考えている。

生活に余白がなくなった。代わりに溢れんばかりの感情を手に入れた。それがこんなにも楽しい。

 

あの日ムビナナを見に行ったことが、自分の人生の分岐点すぎる。

 

 

ムビナナという存在、十龍之介という存在、アイドリッシュセブンという存在が、自分の中であまりに大きい。あまりに素敵で大切だ。

 

 

 

 

ムビナナを見て、感動するようになった。

アイドルに対する抗えない好きの気持ちと、この夏の思い出に対する気持ちが混在する。言葉にできない思いを感じる。90分でいつも違う気持ちを抱かせてくれる。
応援上映もドルシネも4DXも、会場や入ってる人で思い出が全部違う。

ペンラを振る日、振れない日。友人と入る日、一人で入る日。元気な応援上映、朝イチで眠い応援上映。今日なんか泣けた。今日なんかかっこよかった。今日はちょっと眠かった。

特典がもらえるとうれしい。なんと特典がもらえなくても楽しい。

初めていく映画館、すっかり行き慣れた映画館。お気に入りの映画館、なぜかチケットが取りやすい映画館。

アイドリッシュセブンとアイドルに対する気持ちだけではなくて、100日間の思い出も内包されて降りかかってくる。

ムビナナが好きだ。ムビナナとの思い出が大好きだ。

 

 



すっかり変わってしまったムビナナの体験が、時々切なくなる時がある。
たった100日でこんなに変わってしまった。あの時の自分の気持ちを思い出せない。

自分をこんなに変えてしまうコンテンツとの出会いは、さぞ鮮明で、さぞ強烈で、さぞときめきがあったことだろう。

 

アイドリッシュセブンというコンテンツ、ときどき心が苦しくなることがある。

コンテンツメッセージが複雑で、こちらも複雑に受け取る必要がある。
そんな時、初見のあのときを思い出したくなる。

教えてほしい。思い出したい。

こんなに人を狂わせた十龍之介に恋したあのときの気持ちを、もう一度思い出したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、思ったところに初見感想、置いておきます。

 

 

senobiiii.hatenablog.com

 

 

これ見たらちょっと思い出せるから、やっぱり感想を形に残しておくのはいい。みんなもやろ、そして見せて。

 

 

残しておくのはいいなと思ったので、この100日のことも書いておくことにした。

ありがとう、ムビナナ。ありがとう、友人たち。ありがとう、十龍之介。

 

 

 

「推しは推せるときに推せ」

 

それはひとえに、推しがいなくなってしまうことを危惧するだけの言葉ではない。

今この時、この瞬間の自分の熱量を大切にしたい人のための言葉でもある。

周りを大切にしたい人のための言葉でもある。

 

 

 

 

すっかり宵は涼しくなってきた今日この頃だけど、この夏のことをきっと何年先も思い出すんだろうな。

一生忘れないよ。

 

 

 

 

 

ムビナナ大千秋楽、本当にありがとうございました!